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2009年1月

タイトルなし

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081208-188927/news/20090117-OYT1T00768.htm

こんなくだらない文言を決議と称して採択するなんて、いくらなんでもあまりに筋が悪すぎる。「無能なトップを放置するほうがよほど愛党精神を欠いている」という切り返しをされるのが目に見えている。

愛国とか愛党とか愛社とか、その定義が曖昧で死ぬほど controversial な単語が、ある特定の言動を指し示す場合、何も考えられていないか、何も考えないことを求めているかのどちらかと思ったほうが良い。

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理不尽な怒り

6年前に、私は大切な友人の一人を事故で失った。その次の年に、私の母は自ら命を絶った。私はずっと暇さえあればそのことばかりを考え続けてきた。いまだにあれらの死がいったい何なのかはわからない。それでも私の中で根本的に何かが変わらざるを得なかった。

そして、共通の友を失った他の友人たちが、まるで他人事のように私の話を聞く姿を見るにつけ、私は言い知れぬ深いいらだちを覚えるのだ。きっと、彼らにとってはあの死は死ではなく、ニュースや新聞で見たどこかの遠い他人の出来事とそう変わらぬ程度のことでしかなかったのだろう。

そういった詰問をすると、感じ方は人それぞれであって、誰もが同じように考えるわけではないだとか、私の発言が「倫理的」なパターナリズムにすぎない、といった返答をされるのだが、私には、他人事ではない出来事について、そのような言葉を吐くこと自体がありえないと思っている。そんな、ちょっと気の利いた小学生でも吐けそうな薄っぺらな屁理屈に、一体全体どんなリアリティを感じろというのだろうか。

私ごときの生乾きの見識などどうでもいい。世界には自分の力ではどうしようもないこともあるし、どうしなければならないという決まりがあるわけでもない。なにより、私には他人の本当の心などわからない。それでもなお、彼らもまた友人を失って何ごとか思うところがあるなら、私がそれをまりっきり感じ取れないということはないはずだと思えて仕方ないのだ。沈黙ならその沈黙の表情の中に、饒舌なら饒舌の中に、いずれにせよ、思いがあるならその形はおのずと見えてくるはずだ。

そもそも、彼らの返答は、いつも「私の言葉に対する反応」でしかない。私が正しいとか正しくないとか、そんなことを聞いているんじゃない。彼らの答えはまるで見当違いだ。ただ単に、目の前で言われたことに、その場で反応しているにすぎない。

私は、意見を認めろとか尊敬しろとか、そんなことを言いたいわけじゃない。ただ、彼らが何を考えたのかを聞きたいだけだ。もし考えたことがないのであれば、きちんと向き合って考えるべきだと言いたいだけだ。彼らは、それを考えることが苦痛だから、私に何か言い返して、それで事を済まそうとしているだけに見える。その小賢しい怠惰、惰弱、不誠実は、私にとって理解不能で、恐ろしく不満なものだ。

そして、なにより一番わからないのは、私自身、なぜそのことにここまで怒りといらだちを覚えるか、ということなのだ。

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Tamiflu

初めて処方してもらった。

異常行動以前にそもそも行動不能だったのであまり困らなかったけれど、たしかに意識は混濁するようだ。自分は眠る直前まで時間を確かめる習慣があって、いつもなら目覚めた時点で自分がどれくらい眠れたのか、発熱していてもおおよそわかるのだけど、それがさっぱり思い出せない。

もともと子供の頃から高熱の出やすい体質なので、病床で意識の乱れる状態には慣れているのだけど、これはむしろアルコールを採りすぎて前後不覚の意識状態に近いような気がする。

なんにしても、今週は平日がほとんど全部つぶれてしまった。

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