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閑に大声

退屈を持てあまし、現実が理念にすりかえられ、その虚偽を内心理解しているとき、人は声高になります。

黙れ。通らなくても誰にも言われなければ通ったのと同じことだ。それが何か?

そうなのですか? 誰にも? 本当に?

うるさい死ね。

…こうした場合、彼は間違っているわけではありません。ただ、「私」が言葉になり、概念になった瞬間、指し示そうと思ったものとは別のものになってしまうのです。

「AでもBでもない」は言葉になった瞬間に新たな「C」と呼ばれてしまいます。「AでもBでもCでもない」は「D」に。以下、そのくりかえしです。

完結した言語空間とは「私が対象化して切り取ったものすべて」つまり、切り取られているのに全体であるということを前提しているためです。それこそが、言葉そのものと言っても良いくらいです。

つまり、「あなた」や「他の誰か」ではない「私」を言葉で指し示すことはできない。そして、そのことが納得できないために黙っていられないのです。

退屈は人を饒舌にします。退屈なうえに饒舌な人は、理念を排して現実を探るのが良いです。

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