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「理念」と「現実」

「理念」を語ることは必ずしも悪いことだとは思わないのですが、やはり直接の利害関係でつながっていない対象については、どうしても見落としが多くなり、その姿に事実よりも願望の占める割合が高くなることを避けられません。

もちろん、直接の利害関係で結ばれたものだけが「現実」であって、それが「理念」に勝る、というような思考は短絡的で貧困なものですが、私たちは、自分を脅かす「敵」、たとえば、自分がインパラで同じサバンナにライオンがいるようなとき、ライオンについて議論するよりも多くライオンの動きや姿を見ようとはするでしょう。そこには、甘い見通しや願望の入り込む余地はありません。

ただし、それでもなお、一見非合理に思えるリスクに身をさらしながら、理想をおくことはありうると思います。逆に、そうでなければ(つまり、ただ生存可能性の高低だけが「現実」であるなら)私たちはなにも人間なんて面倒な生き物の面倒な生き方を無理にすることはないでしょう。

むしろ、人間やその社会が、「要するに○○でしょ?」と言えないような面倒な生き物で、厄介な存在だ、ということもまた現実であって、しばしば「過酷な現実」と称される過度の単純化も、願望の投影と同程度に、見落としているものが多すぎるというだけなのですが。

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